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豊和技研の創業ストーリー後編|総合設備コンサルタント11年で培った技術が、会社の土台になるまで

名古屋へ転勤してからの私は、電電公社の電話局や通信局舎の設備設計に、来る日も来る日も向き合っていました。前編でお話しした「名古屋人生」の始まりから、独立して豊和技研を興すまで――このページ(後編)では、総合設備コンサルタント(総コン)で過ごした充実の日々と、そこで培った技術がどのように豊和技研へとつながっていったのかを、会長である私自身の言葉で振り返ります。

▶あわせて読みたい:豊和技研の創業ストーリー前編|半世紀、電電公社の電話局・データセンター空調を支えた設計者の歩み

11名の名古屋事務所で挑んだ、名古屋初期の超高層ビル

当時の総コン名古屋事務所は、テレビ塔の西、河合楽器ビルの隣にありました。所員はわずか11名ほどの小さな所帯です。そんな中、東海地区でも初となる超高層ビル「NTTデータ伏見ビル」の新築設計が、昭和50年にスタートしました。広小路の電電ビルと東京銀行名古屋支店を一体的に再開発し、名古屋に初期の超高層ビルを建てるという大きな計画です。

同期の優秀な同僚が伏見ビルの空調を担当し、私は別件の「三の丸事務庁舎ビル」新築空調設備の実施設計を任されました。この二棟は設計時期がちょうど重なっていましたが、私が担当した三の丸ビルは、のちに大きな幸運を運んでくれることになります。三の丸ビルはRC造(鉄筋コンクリート造)、地下2階・地上10階建て、建築延面積は23,760㎡。竣工は昭和55年(1980年)のことでした。

すべて手計算だった空調負荷計算と、電電公社の厳しい設計検査

三の丸ビルの空調実施設計が始まったのは、昭和50年1月です。設計業務の一部は総コン名古屋の協力設備設計事務所へ委託し、設計図面・設計計算書・数量調書・積算書の一式をまとめるのに、4ヵ月ほどを要しました。今と違い、当時の空調負荷計算はすべて手計算です。何人かで手分けをしても、負荷計算だけで1ヵ月近くかかりました。

しかも実施設計の期間中には、電電公社の設計監理者による設計検査が、工程に合わせて3〜4回入ります。空調負荷計算のチェックだけで、毎回4〜5日を要するほど厳格なものでした。幸い、私の計算にミスは1カ所もありませんでしたが、監理者の厳しさには本当に苦労させられたものです。ちなみにこの監理者は、その15年後、総コン名古屋事務所の副所長として着任してくることになります。

19年越しの「めぐり合わせ」|設計した建物を、こんどは豊和技研が施工する

実は、この三の丸ビルには忘れられない後日談があります。実施設計を手がけたのは昭和50年でしたが、そのおよそ19年後の平成6年、独立した私の会社・豊和技研が、同じ三の丸ビルの「食堂カフェテリア厨房空調改修工事」という大型空調工事を施工することになったのです。かつて自分が設計した建物を、こんどは自分の会社が施工する。これほどのめぐり合わせが、そうそうあるものではありません。

このとき豊和技研は創立6年目。私は日比谷総合設備の外注委託を受けた現場代人として現場に立ち、空調工事は豊和技研が請け負って施工しました。設計者としての経験が、そのまま施工者としての確かな足場になった瞬間でした。

木下部長の信頼が、豊和技研を名古屋の大型空調工事へ

豊和技研の成長を語るうえで欠かせないのが、当時の日比谷総合設備工事部長・木下信義様の存在です。豊和技研は木下部長から厚い信頼をいただき、平成2年頃の中村電話局 事務室空調改修工事を皮切りに、現場代人を兼任する形で、名古屋の主だった大型空調工事を任されていくようになりました。

日総建から独立を志した頃、私はまさにこうした企業のかたちを思い描いていました。総コンに在籍した11年間、起業を見据えて設計のキャリアを積み、技術系の国家資格取得を目指し、向学心を絶やさず勉強を続けてきた――その積み重ねが、木下部長の信頼を引き寄せたのだと思います。とはいえ、起業した当初は、専門工事業者として現場の細かなことまでは分からず、一人で悪戦苦闘の連続でした。文字どおりゼロからのスタートです。それでも、私の持論である「ポジティブ・プラス思考」が、すべての壁を解決してくれました。豊和技研の行動指針の原点は、まさにここにあります。

通信技術の進化とともに|クロスバーからデジタル、そしてMACS空調へ

私が設計に携わった時代は、通信設備がめまぐるしく進化した時代でもありました。クロスバー交換機からデジタル交換機、そしてデータ通信機の時代へと移り変わっていきます。昭和57年から63年頃には、発熱量の大きい高顕熱通信機に対応する空調機を、ダイキンと電電公社が協同で開発しました。日本電信電話公社仕様のパッケージ型空調機を用いる「MACS空調機」の始まりで、そのほとんどが空冷式でした。

私たちは、それまで馴染みの薄かった空調用の冷媒配管設計を新たに学び、設計に取り入れていきました。空調機は平成元年にMACS M型・L型、平成21年からはLL型へと進化していきます。電電公社の空調設計は、空調に関連する電気工事までを含むため、当時は苦手だった電気動力線の配管配線や空調計装設計も、勉強しながら形にしていきました。おかげで、電気設備についても一定の強みを身につけることができたのです。空調と電気の両方を見渡せる――この視点は、いまの豊和技研が空調衛生設備工事と電気設備工事の双方を手がけられる原点になっています。

総コン後期|規格化設計と、東海沖地震に備える耐震補強

戦後50年を迎えた平成7年頃には、通信局舎の基本的な設備投資が一巡していました。そこからは、技術進歩に伴う高性能通信機器に対応した空調設備ユニットを、規格化した設計として各地の通信施設へ納めていく仕事が中心になります。前述のMACS空調設備が主流となっていきました。

一方で、想定される東海沖大地震に備え、電電局舎の建物や局舎内の建築設備を守る耐震補強工事の設計も並行して進み、設備の耐震設計業務は多忙を極めました。私が担当した通信局舎は、昭和52年(1977年)の栄ビル(北館・東館・西館)の設計に始まり、笹島ビル、阿由知ビルといった比較的規模の大きな3局舎を、順次くり返し設計していきました。ほかにも、プレハブの無人局舎や岐阜ビルなどを手がけています。昭和52年から昭和60年まで、在籍最後の9年間は、本当に充実した「総コン時代」でした。

総コン中期〜後期でたどる、独立への歩み

時期 歩み
昭和50年
(1975年)〜
総コン名古屋事務所(所員11名)で、名古屋初期の超高層ビル群の設計に従事。三の丸事務庁舎ビル(RC造・地下2階地上10階・23,760㎡/1980年竣工)の空調実施設計を担当
昭和52年
(1977年)〜
栄ビル・笹島ビル・阿由知ビルなど大型通信局舎の設計を担当。MACS空調の設計や、東海沖地震に備えた耐震補強設計にも対応
平成2年
(1990年)頃〜
独立後の豊和技研が、日比谷総合設備・木下部長の信頼を得て、中村電話局などの大型空調工事を請負い成長
平成6年
(1994年)
かつて自ら設計した三の丸ビルの厨房空調改修工事を、こんどは豊和技研が施工

11年間の蓄積が、豊和技研の技術の土台になりました

起業を心に決めてから独立するまで、私は専門性の高い設計技術を存分に蓄積させてもらいました。ここまで歩んでこられたのは、サラリーマン時代の私を支えてくださった日比谷総合設備、日本総合建築事務所、総合設備コンサルタントの上司や同僚の皆さんのおかげです。この場を借りて、心から感謝を申し上げます。

そして、この半世紀分の技術と姿勢こそが、いまの豊和技研のDNAです。現在の豊和技研は、NTT・トヨタ・アイシンといった企業の関連施設で、データセンター空調や各種リニューアル工事を手がけています。若き日に鍛えられた設計の視点を、次の世代へと引き継いでいくことが、私たちの使命です。名古屋市天白区で、空調設備工事・電気設備工事・電気施工管理に挑戦したい方、手に職をつけて長く働きたい方を、豊和技研は仲間として歓迎します。半世紀続いてきた設備の物語――その続きを、一緒に書いてくださる方のご応募を、心よりお待ちしています。

企業名 豊和技研株式会社
事業内容 空調衛生設備工事、電気設備工事、電気施工管理
所在地 〒468-0055 愛知県名古屋市天白区池場2丁目1010番地
電話 052-805-1633(受付/9:00〜17:00)
募集職種 施工管理スタッフ/空調設備工事スタッフ/電気設備工事スタッフ/多能工スタッフ/電気工事士
豊和技研株式会社では、施工管理スタッフ・空調設備工事スタッフ・電気設備工事スタッフ・多能工スタッフ・電気工事士を募集中です。

愛知県名古屋市天白区池場2丁目1010番地
TEL : 052‐805‐1633  FAX : 052‐805‐4683

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