豊和技研の創業ストーリー前編|半世紀、電電公社の電話局・データセンター空調を支えた設計者の歩み
電電公社――いまのNTTの電話局やデータセンターは、24時間止まることが許されない設備の塊です。その空調と衛生設備の設計に、私は20代から半世紀以上を捧げてきました。名古屋市天白区で空調衛生設備工事・電気設備工事を手がける豊和技研株式会社を42歳で創業し、71歳で世代交代して、いまは会長として会社を支えています。このページでは、豊和技研という会社がどこから生まれたのか、その原点となった私自身の設備人生を振り返ります。

私の原点|電気技術者だった父から受け継いだ「信条」
私の人生は、前半と後半にきれいに二分できます。前半は、朝鮮と日本で電気技術者として生き抜いた父の背中を見て育った時代です。父が仕事に向き合う際の「信条」に憧れ、それを自分が成長するための糧としてきました。手に職をつけ、技術で身を立てる――この価値観は、まぎれもなく父から受け継いだものです。会社を創業するまでの前半生は、41年に及びました。そして42歳、多くの幸運にも恵まれて念願の事業主となり、私の後半生、すなわち豊和技研の歴史が始まります。ここに至るまで、私がどのように設備の技術を身につけていったのか、順を追ってお話しします。
設備人生の出発点|日比谷総合設備で電話局の世界へ
社会人としての最初の一歩は、昭和42年(1967年)4月、日比谷総合設備の本社第1期生としての入社でした。当時の日比谷総合設備は創業したばかりで、電電公社の電話局を専門とする設備工事会社です。同期の出世頭は、のちに常務まで登りつめました。私はここに2年11ヵ月在籍し、最後に担当したのが、静岡県・伊豆半島稲取の「全電通労働学校 団結の家」新築工事でした。この現場が竣工したのを見届けて、私は退社します。
実は、この工事の設計監理を担っていたのが、日本総合建築事務所(略称・日総建)でした。この縁が、私を次の職場である日総建へと導きます。やはり日総建も、電電公社の電話局を設計する設計事務所でした。この日比谷総合設備と日総建、二社での経験が、私の人生の方向を決定づけました。設計事務所に移って10年ほど経った頃には、「40歳で会社を起業する」という目標を、はっきりと胸に定めていました。目標が定まると、仕事はますます積極的に、挑戦する姿勢で取り組めるようになったのを、今でもよく覚えています。
日総建時代|KDDビルの空調基本設計で掴んだ自信
私が日総建に入ったのは、25歳のときです。日総建は1963年創業の老舗設計事務所で、こちらも電電公社の電話局を数多く手がけていました。入社してすぐ、私は新宿の超高層ビル街の一角を担うKDDビル(国際通信センタービル。現在のKDDIビル)の、空調基本設計スタッフの補佐に飛び込まされます。指導してくださったのは、日比谷時代に声をかけていただいた電電公社OBの空調担当部長(当時40歳)でした。1975年5月から12月まで、およそ半年間、私はこの部長から空調設備設計を徹底的に鍛えられました。
駆け出しの私にとって、厳しいことの連続でした。それでも部長のもとでKDDビルの空調基本設計をまとめ上げ、次の実施設計担当者へ無事に引き渡せたときのことは、今でも忘れられません。真剣に念じて取り組めば、必ず出来る――このとき得た自信は、その後の私の人生を支える大きな柱になりました。そして1976年5月、26歳で空調設備設計の一人立ちを認められたのです。なお、KDDビルの実施設計は日総建の関連設備設計事務所である株式会社ピーエーシーに発注され、同じ部長がまとめ上げました。
未経験の衛生設備に挑む|横浜データ通信局舎(現・NTTコミュニケーションズ横浜第1データセンター)
日総建で4件目に任されたのは、横浜データ通信局舎の衛生設備実施設計でした。新築のSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)で、事務棟は地下1階・地上9階、建築延面積は25,600㎡という大規模な建物です。衛生設備はまったくの未経験で、正直なところ、これだけの規模を自分にこなせるとは思えませんでした。
躊躇する私に、あの電電公社OBの部長がこう言いました。「最初は人の真似から入り、試行錯誤をくり返しながら、自分のものにしていけばよい」。この言葉に背中を押され、私は本気で取り組みました。私より少し年長の、極めて優秀な同僚からも学びながら、4ヵ月で設計図・計算書・積算書・見積書を仕上げ、なんとか納期に間に合わせることができました。この建物は現在、NTTコミュニケーションズ横浜第1データセンターとして稼働しています。衛生設備の実施設計を担当したのは、この横浜データ局舎が最初で最後になりました。当時の設計計算書は、今も記念に大切に保管しています。
総コンで名古屋へ|私の「名古屋人生」の始まり
日総建の設備部は、やがて分離独立し、昭和49年(1974年)6月に新会社・株式会社総合設備コンサルタント(略称・総コン)となりました。総コンは、電気・空気調和・衛生・消防といった建築設備設計を専業とする一級建築士事務所です。社員数は140名余、全国に7事務所を展開し、データセンターや通信施設をはじめ数多くの設計・監理実績を持つ、この分野では全国有数の規模を誇る事務所でした。
私は昭和49年9月、総コンの名古屋事務所へ転勤となります。ここから、私の「名古屋人生」が始まりました。当時は電話局の新築設計が本当に多く、あわせて既設電話局の設備改修設計も数多く手がけました。北陸地方の通信局舎を管轄する金沢の「都市管理部」へは、毎月2〜3回の出張を重ね、設計図書を納めていたものです。名古屋転勤後、最初に担当したのは、昭和49年10月の石川県・羽咋(はくい)電話局 自動機械室の空調改修設計でした。水冷式パッケージ方式がまだ主流だった時代で、現地調査を含めておよそ2ヵ月で設計図書を納めました。
そして42歳、豊和技研を創業する
こうして積み重ねた設備設計者としての経験を土台に、私は42歳で念願の独立を果たします。それが、豊和技研の始まりでした。私の専門である空調を活かし、自ら設計もできる――その強みを武器に、「3公社」のひとつであった電電公社の仕事を、大手空調設備会社から卒なく受注し、確実にこなせる工事施工会社をつくりました。電話局やデータセンターという、社会の通信インフラを足元から支える設備。その現場で培った技術と信頼こそが、豊和技研という会社の原点です。
会社の変遷でたどる、会長の歩み
| 時期 | 歩み |
|---|---|
| 昭和42年 (1967年)〜 |
日比谷総合設備に第1期生として入社。電電公社の電話局設備を担当し、伊豆・稲取の現場を最後に退社 |
| 25歳〜 | 日本総合建築事務所(日総建・1963年創業)へ。KDDビル(現KDDIビル)の空調基本設計に従事し、26歳で設計の一人立ち。横浜データ通信局舎(現NTTコミュニケーションズ横浜第1DC)の衛生設備も担当 |
| 昭和49年 (1974年)〜 |
日総建設備部の独立に伴い誕生した総合設備コンサルタント(総コン)へ。名古屋事務所に転勤し、羽咋電話局の空調改修設計などを担当 |
| 42歳 | 豊和技研株式会社を創業 |
| 71歳〜現在 | 世代交代して会長に就任。半世紀にわたり培った技術を、次の世代へ継承 |
半世紀の歩みが、いまの豊和技研の技術力です
若き日にKDDビルや横浜データ局舎で鍛えられた設計の視点、そして名古屋で積み上げた電話局・データセンター空調の実績は、そのまま豊和技研のDNAとなって受け継がれています。現在の豊和技研は、NTT・トヨタ・アイシンといった企業の関連施設で、データセンター空調や各種リニューアル工事を手がけるまでに成長しました。
私が父から「信条」を受け継いだように、この技術と姿勢を次の世代へ引き継いでいくことが、いまの私たちの使命です。名古屋市天白区で、空調設備工事・電気設備工事・電気施工管理の仕事に挑戦したい方、手に職をつけて長く働きたい方を、豊和技研は仲間として歓迎します。半世紀続いてきた設備の物語の、その次の一章を一緒に書いてくださる方のご応募を、心よりお待ちしています。
| 企業名 | 豊和技研株式会社 |
|---|---|
| 事業内容 | 空調衛生設備工事、電気設備工事、電気施工管理 |
| 所在地 | 〒468-0055 愛知県名古屋市天白区池場2丁目1010番地 |
| 電話 | 052-805-1633(受付/9:00〜17:00) |
| 募集職種 | 施工管理スタッフ/空調設備工事スタッフ/電気設備工事スタッフ/多能工スタッフ/電気工事士 |
愛知県名古屋市天白区池場2丁目1010番地
TEL : 052‐805‐1633 FAX : 052‐805‐4683